人であれ、動物であれ、モノであれ、何者かに愛情を注ぐことで人が生きる力を得るのであれば、それを傍から笑う権利は誰にもないはずです。一方通行だからと言って、それが虚しい人生とは限らないのです。ー擬似“人格”でも人を癒すことはできるー 「クラウドからAIへ」
AI(人工知能) の歴史から、今後起こりうる可能性までを描いた1冊「クラウドからAIへ」より、ロボットを使ったメンタルケアに関するひとこと。
本書では、AIをセラピストだと偽り、人と文字ベースで対話させたときに、人はロボットだと気づかないばかりか、多くが「心が癒された」と回答した事例が紹介されている。
これは、「話を聞く」ということが主な役割である、セラピストだからこそ、ロボットだと気づくことができなかったのではと予想されるが、そのコミュニケーションでさえ、人は「癒し」を感じることができるようだ。
本来、コミュニケーションは相互理解によって成立していると考えられているが、片側の人間が「理解された」と感じれば、それで成立してしまうのである。
「癒し」を求めて犬や猫を飼うというのは、いまもよく見られる光景であるが、いつか「癒し」を求めてロボットを飼うという未来がくるのかもしれない。
現在も、お掃除ロボットのルンバをペットのように見立てて可愛がる、所有者のちょっとした茶目っ気による楽しみ方があったりするが、「ロボットはペット」という概念が、一般的になる可能性も多いにあるだろう。
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